2022/08/19
すごくすごく、小さなこと
おっと、7年ぶりのブランク。
パスワードすら失念していたのに先ほど気付きました。
サイトも直してません。
(近々直すと思います)
今更ですが長年失礼しており申し訳ない限りです。
近況は‥生きてます。細々と。
創作関係はまた改めて記すこととさせて頂いて─
諸々失礼したままで申し訳ありませんが、
その辺ご容赦いただくとして‥(すみません)
今日はちょっと思うことがあったので、
お話しにお付き合いいただけます方には
つらつらと、以下‥
近しい親族に降って湧いた病状が思わしくなく、
残された時間も僅かに垣間見えて折、
気の置けない日々にて、積もる年月を省みては
悔やむやら情けないやら、残念な思いや自責の念やらを感じては
心に嘆息ばかり溜め込んでいたりしています。
及ばぬ自らの所業態度は直視せぬくせに、
思いばかり傍の家族にぶつけるのもどうかと思いつつ、
しかしどうしても口をついてしまうよろしくない性癖。
そんなことを言っても仕方ない、自分以外の、それこそ苦しんでいる当の、
大切なの人にそんな話を向けても致し方ない、
それでは何の埒も開かない、
ゆえ、自分語りにこの場に少しだけ吐露しておきます。、
端的に、ことの起こりは親族の苦しい病状の発出から、
その後の一時退院後の生活への移行─
看取るのに介護の手を借り、役所の手続き、お金の整理。
諸々は家族が行い、自分はその一部始終を見聞きするだけ。
その多くは膨大な手間と時間と、精神的負担、一方で些末な事務手続きの繰り返し。
事務手続き、事務手続き‥々々。
折しも、叔母が認知の病いで施設に入所したと伝え聞き、
人の晩年の、生き道の分岐やその終着先に考えが及んで。
自分とて通らぬ草路ではありません。
働いて、生活して、動いて、経験して、
人と交わり、人と話し、人と付き合い、人と生活し、
人のいる社会で生きて、人の間で身の振りを習い、
人の足痕を辿り、人の耳目に触れ、そして自分を感じる、
生きていることを知り、自分の足を踏み出し続け、立ち止まり、振り返る。
生きている間、人は誰かと話し続けるのです。
認知の病いに罹った叔母は、長いこと家族と離れ、飼い犬と話していました。
飼い犬とのみ。
外出し仕事もしていましたが、あるときから症状が悪くなり、
実子とも離れて暮らしていた叔母は、以後家で一人で過ごすことに。
飼い犬とだけ。
件の親族は、元々そうではなかったのですが、大病にて施術の際、
薬の影響が大きく、軽く同様の症状に苛まれてしまいました。
しかしその発症発見の前から、連れ合いを亡くし、
仕事に通いつつも一方で家宅ではテレビが屋内の唯一の供。
それ以外は何ありましょう、賭け事、煙草。
病床にあっても、その後宅に戻り、また病院と往復する中も、
人と話す機会は‥
いえ、親しい仲の人と話す機会はありません。
遠くの兄弟、遠くの実子。
家に話し相手はいません。
もちろん、この時代ですから電話があります。
スマートな電話。
しかし声だけです。文字だけです。
用事を伝え、諸々の話を伝え、感情や状況を伝え‥
それだけは古に比べれば便利ではありますので、
いくらでも可能なことは叶います。
ですが、そこに吐息はありません、
匂いもありません。
家族の、近しい者の目視できるリアクションはありません。
無視されているか、そうでないのか、関心があるのか、面倒なのか、
それを測ることは叶いません。
ただ、音声だけ。ただ、文字だけ。
一緒にいて、同じ場にいて感じられる、息遣いはありません。
同意はあるかも知れませんが、頷く冗語はありません。
あっても言葉が返ってこないことがあります。
まして時差(タイムラグ)すらあります。
こちらの話題や返信への応えが、望んだ言葉で帰って来ることもあれば、
誤った冗句や暴言、愚痴への応えが、実は呆れ憤りながらも、
ときに気を遣った言葉に変わることもあれば、
何ら求めていない文句や罵詈になって戻ってくる可能性もある。
求めているものと違う、でも求めているものをはっきり言い表せない。
言い表せない、のでなく、求めているものの表象は、言葉のかたちを成さないのです。
求めているのは感情なので。
感情なのです。
表情なのです。
言葉の表情こそが感情であり、感情は、言葉だけでは言い表せない。
そこにあるのは時間と、空間と、空気と、温度と、匂いと、
そこはかとない繋がりの実感です。
共有しているその場の全てで、それは言葉では表せないもの。
用事や状況報告や、事実や事件や事象を語ることや、
今の感情を言い表すことは言葉で、
音(声)で、文字で、端的に表す、伝えることは可能です。
ですが、そのいずれでもない、些末なことはどうでしょう。
例えば、窓の外を眺めて、
月が綺麗だ、と思ったとき。
煙の匂いが漂ったとき。
救急車のサイレン。
地震かな?という揺れ。
テレビで今流れた台詞、音楽、画像。
どこかで聴いた音楽。
もしかしたら思い出の‥
その感想。
その感情。
その些細な言葉を誰か受け止めてくれるでしょうか。
その空気と空間と時間と事実を。
「茶柱が浮いた」的な話は誰も聞いてくれない。
「あのときの味」を語り合う人がいない。
そこにあるのはただ、恐ろしいことだけです。
静寂。静か過ぎる孤独。
話すべきこと、伝えるべきことは、
音や文字で、電波に乗せて遥か彼方にまで届けられるのに。
用事でないこと、必要でないこと、
某かの返答に値することでないこと、
ましてそのときの喫緊で応答を要することでないことは
表象のあやふやな、感情や、感覚や、表情や、雰囲気や、
言葉で伝えづらい、香りや、音声や、味覚や、姿や、
共有しえないと通じない、体験や、記憶や、思い出。
伝わらない言葉があるように、
言葉で伝わらないことは数えきれないほどある。
誰か、人が、傍に、
一緒にいて、一緒に見聞きし体験し、共有し、
或いは更に共感して初めて、
その事象は存在するのです。
その場に某かの人同士が存在しないと、それは伝わらないのです。
その存在と、その体験への共有がないと、
それは存在すらしていないのと同じ、
なかったことになってしまう。
いつの間にか、いえ、瞬時に霧散してしまう、儚い霞や靄のようなもの。
共有する人がいないと、
共感する人がいないと、
その表象は存在しないのと同じなのです。
共感こそが人の繋がりの楚なのではないでしょうか。
飼い犬やテレビは、その体験を聞いてくれません。
聴いてはいるかもしれませんが、応えません。
犬は、表情を見てはくれるでしょう。
ですが、完全に100%必要な、脳の言語中枢に刺さる応え方はしてくれません。
何らかのアルファ波は出してくれるかも知れません、
こちらにそれが出るきっかけは与えてくれるかも知れません。
(医療的にはその方面で、ペットを飼っている人は惚けや認知になりにくい、また、その治りの介助にもなるという研究成果も謳われていますし、私も一助はきっとあるとは思います)
共有されないのです。
存在していることを否定してすらいるのです。
電話でも同じ。
音声でも、文字でも、そこに体験や記憶の共有はありません。
ただただ、事務的な、音、と、文字。
それだけ。
煙の匂い、救急車のサイレン。
遠くを往き去る飛行機。
流れる雲、雲から顔を出す月。
雨の雫。
水の冷たさ。お茶の味。
ごくごく、極々、些細な事。
とてもとても、小さなこと。
その小さなことの繰り返しが記憶であり、体験であり、
その共有と、共感があって、
初めて人は、人同士は互いに繋がる。
そして繋がりが人の個人の価値を自覚させ、奮い立たせ、
人を孤独から救い、社会の中に足を踏み出させ、
楽しむ活力を与え、生きていくための杖となり支えとなり術になる。
些細なことの繰り返しと、些細なことの積み重ね。
記憶、そして誰かとの共有、
同じ時間、空気、空間、色、光、音、味、香り、感情、それらの共有。
そのことを分かち合う体験、共感。
晩年に一人でいることは、その共有と共感の機会を失い、
それは孤独への防衛力を著しく損ない、
人の持っている力を剥ぎ取り、
生きている支えを破壊することに繋がる。
繋がりの断たれた世界は、暗黒なのです。
人が生まれて人、つまり社会と、つまり家族と、
共有を始めた後、それがずっと続いた後、
共有する人がいなくなると、そこが人の終わりになる。
それが往き着く先、
終焉の入り口なのだと。
病に倒れたり、某かを失っても、そこにまだ人は誰かいる筈ではある。
でもそれが、その傍の人が、
その人と機械的にしか繋がらなかったら、
そこに共感や共有がなかったら、
やはり孤独の往き路の終わりは暗澹と近付き始め、
飲み込まれて閉じて、終わりになる。
あっという間に。
介護や、手当や、助力や、手続き。
それは勿論、殆どのウェートを占めている。
大事なことはたくさんある。
それが当面大事なことでは、もちろんある。
ただ、人の人としての人たる所以、人の大事な構成部分、
立っているための、存在するための、
その維持と形成は、
すごくすごく、小さくて微かで、しかし日々、どうしてもなくてはならないもので成り立っている。
とても些細で、とてもとても小さなことの筈なんだけれど。
そこを忘れないで、
記憶に留めて欲しい。
介護も医療も補助も手助けも、もちろん必要なのだけれど。
そこに人が介在する限り、きっと人は立ち直るのだから。
人が介在する真の理由を、
じつはそれが、そのほんのわずかなことの大事さにあるのではないかと。
人はそれを必要としている。
苦しみを共有すること、
共感している、今、改めてそう思う。
(‥とりとめがない文、語句の羅列になってしまいました‥ メモ的書き殴りとお赦し下さい。
反省。後日見返して手を入れるか書き直すかするかも知れません。
むしろ、短い小説にして起こし直したいです。)
パスワードすら失念していたのに先ほど気付きました。
サイトも直してません。
(近々直すと思います)
今更ですが長年失礼しており申し訳ない限りです。
近況は‥生きてます。細々と。
創作関係はまた改めて記すこととさせて頂いて─
諸々失礼したままで申し訳ありませんが、
その辺ご容赦いただくとして‥(すみません)
今日はちょっと思うことがあったので、
お話しにお付き合いいただけます方には
つらつらと、以下‥
近しい親族に降って湧いた病状が思わしくなく、
残された時間も僅かに垣間見えて折、
気の置けない日々にて、積もる年月を省みては
悔やむやら情けないやら、残念な思いや自責の念やらを感じては
心に嘆息ばかり溜め込んでいたりしています。
及ばぬ自らの所業態度は直視せぬくせに、
思いばかり傍の家族にぶつけるのもどうかと思いつつ、
しかしどうしても口をついてしまうよろしくない性癖。
そんなことを言っても仕方ない、自分以外の、それこそ苦しんでいる当の、
大切なの人にそんな話を向けても致し方ない、
それでは何の埒も開かない、
ゆえ、自分語りにこの場に少しだけ吐露しておきます。、
端的に、ことの起こりは親族の苦しい病状の発出から、
その後の一時退院後の生活への移行─
看取るのに介護の手を借り、役所の手続き、お金の整理。
諸々は家族が行い、自分はその一部始終を見聞きするだけ。
その多くは膨大な手間と時間と、精神的負担、一方で些末な事務手続きの繰り返し。
事務手続き、事務手続き‥々々。
折しも、叔母が認知の病いで施設に入所したと伝え聞き、
人の晩年の、生き道の分岐やその終着先に考えが及んで。
自分とて通らぬ草路ではありません。
働いて、生活して、動いて、経験して、
人と交わり、人と話し、人と付き合い、人と生活し、
人のいる社会で生きて、人の間で身の振りを習い、
人の足痕を辿り、人の耳目に触れ、そして自分を感じる、
生きていることを知り、自分の足を踏み出し続け、立ち止まり、振り返る。
生きている間、人は誰かと話し続けるのです。
認知の病いに罹った叔母は、長いこと家族と離れ、飼い犬と話していました。
飼い犬とのみ。
外出し仕事もしていましたが、あるときから症状が悪くなり、
実子とも離れて暮らしていた叔母は、以後家で一人で過ごすことに。
飼い犬とだけ。
件の親族は、元々そうではなかったのですが、大病にて施術の際、
薬の影響が大きく、軽く同様の症状に苛まれてしまいました。
しかしその発症発見の前から、連れ合いを亡くし、
仕事に通いつつも一方で家宅ではテレビが屋内の唯一の供。
それ以外は何ありましょう、賭け事、煙草。
病床にあっても、その後宅に戻り、また病院と往復する中も、
人と話す機会は‥
いえ、親しい仲の人と話す機会はありません。
遠くの兄弟、遠くの実子。
家に話し相手はいません。
もちろん、この時代ですから電話があります。
スマートな電話。
しかし声だけです。文字だけです。
用事を伝え、諸々の話を伝え、感情や状況を伝え‥
それだけは古に比べれば便利ではありますので、
いくらでも可能なことは叶います。
ですが、そこに吐息はありません、
匂いもありません。
家族の、近しい者の目視できるリアクションはありません。
無視されているか、そうでないのか、関心があるのか、面倒なのか、
それを測ることは叶いません。
ただ、音声だけ。ただ、文字だけ。
一緒にいて、同じ場にいて感じられる、息遣いはありません。
同意はあるかも知れませんが、頷く冗語はありません。
あっても言葉が返ってこないことがあります。
まして時差(タイムラグ)すらあります。
こちらの話題や返信への応えが、望んだ言葉で帰って来ることもあれば、
誤った冗句や暴言、愚痴への応えが、実は呆れ憤りながらも、
ときに気を遣った言葉に変わることもあれば、
何ら求めていない文句や罵詈になって戻ってくる可能性もある。
求めているものと違う、でも求めているものをはっきり言い表せない。
言い表せない、のでなく、求めているものの表象は、言葉のかたちを成さないのです。
求めているのは感情なので。
感情なのです。
表情なのです。
言葉の表情こそが感情であり、感情は、言葉だけでは言い表せない。
そこにあるのは時間と、空間と、空気と、温度と、匂いと、
そこはかとない繋がりの実感です。
共有しているその場の全てで、それは言葉では表せないもの。
用事や状況報告や、事実や事件や事象を語ることや、
今の感情を言い表すことは言葉で、
音(声)で、文字で、端的に表す、伝えることは可能です。
ですが、そのいずれでもない、些末なことはどうでしょう。
例えば、窓の外を眺めて、
月が綺麗だ、と思ったとき。
煙の匂いが漂ったとき。
救急車のサイレン。
地震かな?という揺れ。
テレビで今流れた台詞、音楽、画像。
どこかで聴いた音楽。
もしかしたら思い出の‥
その感想。
その感情。
その些細な言葉を誰か受け止めてくれるでしょうか。
その空気と空間と時間と事実を。
「茶柱が浮いた」的な話は誰も聞いてくれない。
「あのときの味」を語り合う人がいない。
そこにあるのはただ、恐ろしいことだけです。
静寂。静か過ぎる孤独。
話すべきこと、伝えるべきことは、
音や文字で、電波に乗せて遥か彼方にまで届けられるのに。
用事でないこと、必要でないこと、
某かの返答に値することでないこと、
ましてそのときの喫緊で応答を要することでないことは
表象のあやふやな、感情や、感覚や、表情や、雰囲気や、
言葉で伝えづらい、香りや、音声や、味覚や、姿や、
共有しえないと通じない、体験や、記憶や、思い出。
伝わらない言葉があるように、
言葉で伝わらないことは数えきれないほどある。
誰か、人が、傍に、
一緒にいて、一緒に見聞きし体験し、共有し、
或いは更に共感して初めて、
その事象は存在するのです。
その場に某かの人同士が存在しないと、それは伝わらないのです。
その存在と、その体験への共有がないと、
それは存在すらしていないのと同じ、
なかったことになってしまう。
いつの間にか、いえ、瞬時に霧散してしまう、儚い霞や靄のようなもの。
共有する人がいないと、
共感する人がいないと、
その表象は存在しないのと同じなのです。
共感こそが人の繋がりの楚なのではないでしょうか。
飼い犬やテレビは、その体験を聞いてくれません。
聴いてはいるかもしれませんが、応えません。
犬は、表情を見てはくれるでしょう。
ですが、完全に100%必要な、脳の言語中枢に刺さる応え方はしてくれません。
何らかのアルファ波は出してくれるかも知れません、
こちらにそれが出るきっかけは与えてくれるかも知れません。
(医療的にはその方面で、ペットを飼っている人は惚けや認知になりにくい、また、その治りの介助にもなるという研究成果も謳われていますし、私も一助はきっとあるとは思います)
共有されないのです。
存在していることを否定してすらいるのです。
電話でも同じ。
音声でも、文字でも、そこに体験や記憶の共有はありません。
ただただ、事務的な、音、と、文字。
それだけ。
煙の匂い、救急車のサイレン。
遠くを往き去る飛行機。
流れる雲、雲から顔を出す月。
雨の雫。
水の冷たさ。お茶の味。
ごくごく、極々、些細な事。
とてもとても、小さなこと。
その小さなことの繰り返しが記憶であり、体験であり、
その共有と、共感があって、
初めて人は、人同士は互いに繋がる。
そして繋がりが人の個人の価値を自覚させ、奮い立たせ、
人を孤独から救い、社会の中に足を踏み出させ、
楽しむ活力を与え、生きていくための杖となり支えとなり術になる。
些細なことの繰り返しと、些細なことの積み重ね。
記憶、そして誰かとの共有、
同じ時間、空気、空間、色、光、音、味、香り、感情、それらの共有。
そのことを分かち合う体験、共感。
晩年に一人でいることは、その共有と共感の機会を失い、
それは孤独への防衛力を著しく損ない、
人の持っている力を剥ぎ取り、
生きている支えを破壊することに繋がる。
繋がりの断たれた世界は、暗黒なのです。
人が生まれて人、つまり社会と、つまり家族と、
共有を始めた後、それがずっと続いた後、
共有する人がいなくなると、そこが人の終わりになる。
それが往き着く先、
終焉の入り口なのだと。
病に倒れたり、某かを失っても、そこにまだ人は誰かいる筈ではある。
でもそれが、その傍の人が、
その人と機械的にしか繋がらなかったら、
そこに共感や共有がなかったら、
やはり孤独の往き路の終わりは暗澹と近付き始め、
飲み込まれて閉じて、終わりになる。
あっという間に。
介護や、手当や、助力や、手続き。
それは勿論、殆どのウェートを占めている。
大事なことはたくさんある。
それが当面大事なことでは、もちろんある。
ただ、人の人としての人たる所以、人の大事な構成部分、
立っているための、存在するための、
その維持と形成は、
すごくすごく、小さくて微かで、しかし日々、どうしてもなくてはならないもので成り立っている。
とても些細で、とてもとても小さなことの筈なんだけれど。
そこを忘れないで、
記憶に留めて欲しい。
介護も医療も補助も手助けも、もちろん必要なのだけれど。
そこに人が介在する限り、きっと人は立ち直るのだから。
人が介在する真の理由を、
じつはそれが、そのほんのわずかなことの大事さにあるのではないかと。
人はそれを必要としている。
苦しみを共有すること、
共感している、今、改めてそう思う。
(‥とりとめがない文、語句の羅列になってしまいました‥ メモ的書き殴りとお赦し下さい。
反省。後日見返して手を入れるか書き直すかするかも知れません。
むしろ、短い小説にして起こし直したいです。)
2015/01/03
A Happy New Year
謹賀新年。
謹んで新年のお慶びを申し上げます。
日々世界の情勢や環境が人の生きる途に暗雲の兆しを示し、
一方で旧態依然とした施策や慣習に大きな変化の予兆はなく、
駆け足で進むのは凡なる人知の及ばぬテクノロジーの分野ばかり‥
オックスフォード大学の研究に、人の仕事の7割以上が将来、
機械(電子頭脳)に取って変わられるという発表がありました。
そうは言っても、産業革命当時も、以降の技術革新後も、
多くの人が職を失うと危惧されつつ、その内実では
人々が機械を使うことで新たに仕事を創造してきたように思えます。
ただ労働として使われていては機械(ロボット)的域を出ないことには
変わりないわけですが‥、
想像力、創造力は人にしかないものですし、
その需要を生むのもまかなうのも人でしか出来えないことです。
人類的難局に対峙しても、持ち前の想像(創造)力が覆すだろうと、
私は悲観して咆哮するより幾ばくか楽観視しています‥。
- - -
私事になりますが、どうしても自分のやりたいように生きたい、と
路を転換して、今年10年を迎えます。
いろいろ手応えがあったり、他方では壁が大き過ぎて
不戦敗の白旗を振っちゃったりしてきましたが、
どうにかこうにか、学歴や履歴書の及びでない、
スキル重視の荒波の中で揉まれつつかわしつつ生きています。
誰でもいい、というのと、
その人でないといけない、というのは、
生きようとするエネルギーの生まれ方が全然違います。
たった一人、という孤独の辛さは誰しにもあって。
その一方で、たった一つでしかない、という極みの姿を求める。
そこには代えがたい至福が同居していて。
それを認めて、支えてくれてきた方々に、感謝するばかりです。
新年からいい気になって生意気なことを言ってますが。
体調がお陰様で著しく回復し、(やっぱり空気と食事は大事です!)
少しずつ白いものをこつこつ、ごしごし埋めています。
年末には毎晩終電帰りを繰り返していましたが、
何とかやりくりして、今年中には形を出したいと思います。
絵の方は、まとまった数日間が中々取れず、ぼんやりしてますが。
それから、PCがとうとう、代替えに使っていた一番旧いマシンを含め
3台目が年末の忙しい時期に駄目になりまして‥
年賀状も年賀メールも失礼中という体たらくで、
これについては平身低頭お詫びし、お赦しを乞うばかりです。
新年早々より申し訳ありません。
(この文はタブレットで更新しています)
買い換えましたら、また改めて挨拶に参ります。
以上、ご挨拶と報告でした。
皆様にとって、今年も良き一年でありますように、
お祈り申し上げます。
謹んで新年のお慶びを申し上げます。
日々世界の情勢や環境が人の生きる途に暗雲の兆しを示し、
一方で旧態依然とした施策や慣習に大きな変化の予兆はなく、
駆け足で進むのは凡なる人知の及ばぬテクノロジーの分野ばかり‥
オックスフォード大学の研究に、人の仕事の7割以上が将来、
機械(電子頭脳)に取って変わられるという発表がありました。
そうは言っても、産業革命当時も、以降の技術革新後も、
多くの人が職を失うと危惧されつつ、その内実では
人々が機械を使うことで新たに仕事を創造してきたように思えます。
ただ労働として使われていては機械(ロボット)的域を出ないことには
変わりないわけですが‥、
想像力、創造力は人にしかないものですし、
その需要を生むのもまかなうのも人でしか出来えないことです。
人類的難局に対峙しても、持ち前の想像(創造)力が覆すだろうと、
私は悲観して咆哮するより幾ばくか楽観視しています‥。
- - -
私事になりますが、どうしても自分のやりたいように生きたい、と
路を転換して、今年10年を迎えます。
いろいろ手応えがあったり、他方では壁が大き過ぎて
不戦敗の白旗を振っちゃったりしてきましたが、
どうにかこうにか、学歴や履歴書の及びでない、
スキル重視の荒波の中で揉まれつつかわしつつ生きています。
誰でもいい、というのと、
その人でないといけない、というのは、
生きようとするエネルギーの生まれ方が全然違います。
たった一人、という孤独の辛さは誰しにもあって。
その一方で、たった一つでしかない、という極みの姿を求める。
そこには代えがたい至福が同居していて。
それを認めて、支えてくれてきた方々に、感謝するばかりです。
新年からいい気になって生意気なことを言ってますが。
体調がお陰様で著しく回復し、(やっぱり空気と食事は大事です!)
少しずつ白いものをこつこつ、ごしごし埋めています。
年末には毎晩終電帰りを繰り返していましたが、
何とかやりくりして、今年中には形を出したいと思います。
絵の方は、まとまった数日間が中々取れず、ぼんやりしてますが。
それから、PCがとうとう、代替えに使っていた一番旧いマシンを含め
3台目が年末の忙しい時期に駄目になりまして‥
年賀状も年賀メールも失礼中という体たらくで、
これについては平身低頭お詫びし、お赦しを乞うばかりです。
新年早々より申し訳ありません。
(この文はタブレットで更新しています)
買い換えましたら、また改めて挨拶に参ります。
以上、ご挨拶と報告でした。
皆様にとって、今年も良き一年でありますように、
お祈り申し上げます。
2014/05/18
Design Festa vol.39
5/17・18の両日、ご来場くださった皆様、あrがとうございました。
当方ブースにお立ち寄りくださった皆様、本当にありがとうございました。
今年になってだいぶ体調も回復、家族の喪も明けつつあります。
告知やお知らせもできず、出展が精一杯で作品もかような状態で
失礼を致しました。
暫くまだリハビリのような状態が続きご心配をおかけするやも知れませんが、
頂いた元気と鋭気で、ご期待に副えるよう努めていきたいと思います。
今後もまたどうぞよろしくお願い致します。
日曜日は特にすごいご来賓でしたので、喋りつかれた部分もあり(笑)、
本日は短いですがこの辺で休ませて頂きます。
Thank you for visiting to my booth of the DesignFesta vol.39.
I have the grateful pleasure of meeting with you.
Now I'm tired little, but I got more powerful energies from you.
See you next time or soon on the web.
Thanks.
当方ブースにお立ち寄りくださった皆様、本当にありがとうございました。
今年になってだいぶ体調も回復、家族の喪も明けつつあります。
告知やお知らせもできず、出展が精一杯で作品もかような状態で
失礼を致しました。
暫くまだリハビリのような状態が続きご心配をおかけするやも知れませんが、
頂いた元気と鋭気で、ご期待に副えるよう努めていきたいと思います。
今後もまたどうぞよろしくお願い致します。
日曜日は特にすごいご来賓でしたので、喋りつかれた部分もあり(笑)、
本日は短いですがこの辺で休ませて頂きます。
Thank you for visiting to my booth of the DesignFesta vol.39.
I have the grateful pleasure of meeting with you.
Now I'm tired little, but I got more powerful energies from you.
See you next time or soon on the web.
Thanks.
2012/12/21
出生 The Birth Day
子供が産まれました。
母子ともに健康。
長い出産でちょっとへたってます。
マヤ文明の世界終末の予言日・・なんて噂もあった日でした。
世界中の人々に感謝するばかりです。
母子ともに健康。
長い出産でちょっとへたってます。
マヤ文明の世界終末の予言日・・なんて噂もあった日でした。
世界中の人々に感謝するばかりです。
2011/12/09
引退
個人的にこのBLOGでも以前よりリンクさせて頂いている、
工藤公康投手が引退されました。
実働30年間という長い現役生活でした。
西武ライオンズに復帰された後、今年はその行き先に注目が集まり、
横浜の監督の話などがありましたが、ご本人は現役に拘っておられました。
肝心の肩の痛みが深刻だったようです。
西武に再入団されてからもリハビリの続いたご様子でしたが、残念でなりません。
奥様の栄養学の助けもあり、強い骨をつくる長い現役生活は、
数多くのプレイヤーの方々が影響を受けられたようです。
たくさんの少年野球教室の開催も、子供たちによき指針を培ってくださったと思います。
現役を引退された今後も、変わらずに野球界、スポーツ界全体のために
変わらぬ貢献を続けて欲しいと願うばかりです。
横浜の監督姿は見たかった・・きっとまたどこかでお目にかかれるでしょう。
落合監督が中日ドラゴンズのユニフォームを脱がれ、
梨田監督も日ハムをお辞めになられました。
真弓監督も・・奇しくも、今年はちょうど同期の監督方が続け様に去られてしまわれました。
私は元々、近鉄バファローズやあの強い西武や落合さんを擁したパ・リーグのファンでしたが、
近鉄の消滅と共に年々プロ野球熱が冷め、観戦に行くこともすっかり少なくなっていました。
さびしい限りです。
しかし現役でなくとも、名プレイヤーには、人としての歩み方についても学ぶことが有り余るほど。
次の世代の方々に伝える姿をまた楽しみに、励みにし、学び続けたいと思うばかりです。
工藤公康投手が引退されました。
実働30年間という長い現役生活でした。
西武ライオンズに復帰された後、今年はその行き先に注目が集まり、
横浜の監督の話などがありましたが、ご本人は現役に拘っておられました。
肝心の肩の痛みが深刻だったようです。
西武に再入団されてからもリハビリの続いたご様子でしたが、残念でなりません。
奥様の栄養学の助けもあり、強い骨をつくる長い現役生活は、
数多くのプレイヤーの方々が影響を受けられたようです。
たくさんの少年野球教室の開催も、子供たちによき指針を培ってくださったと思います。
現役を引退された今後も、変わらずに野球界、スポーツ界全体のために
変わらぬ貢献を続けて欲しいと願うばかりです。
横浜の監督姿は見たかった・・きっとまたどこかでお目にかかれるでしょう。
落合監督が中日ドラゴンズのユニフォームを脱がれ、
梨田監督も日ハムをお辞めになられました。
真弓監督も・・奇しくも、今年はちょうど同期の監督方が続け様に去られてしまわれました。
私は元々、近鉄バファローズやあの強い西武や落合さんを擁したパ・リーグのファンでしたが、
近鉄の消滅と共に年々プロ野球熱が冷め、観戦に行くこともすっかり少なくなっていました。
さびしい限りです。
しかし現役でなくとも、名プレイヤーには、人としての歩み方についても学ぶことが有り余るほど。
次の世代の方々に伝える姿をまた楽しみに、励みにし、学び続けたいと思うばかりです。
2011/11/12
DF
DF#34 は引き続き体調の関係で出展を見合わせております。
来場についても、今回は両日とも欠席と失礼させて頂きました。
体調回復に努めております。申し訳ございません。
ご容赦くださいませ。
来場についても、今回は両日とも欠席と失礼させて頂きました。
体調回復に努めております。申し訳ございません。
ご容赦くださいませ。
2011/08/08
Can't I see anythimg anyway? -諏訪敦展-

『諏訪敦 絵画作品展 どうせなにもみえない』を
観に行って来ました。
来場される方々皆が息を呑む、居並ぶ素晴らしい作品郡に、
この日はトークイベントの開催も相俟って、
湖畔の古風で優雅な美術館は入りきれないほどの
凄い賑わいでした。
2年前に偶然作品に出会って以来傾倒してやまないのは
何度かここにも書かせて頂いていますが・・
先々月はNHK「日曜美術館」で、先月は成山画廊で、
更に今回と続けて浸ることができた喜びと共に、
大きな意欲も頂けて、とても幸せなひとときでした。
◇諏訪市美術館 ◇諏訪敦氏公式HP
待望の画集2冊目も発売中です。
作品展、画集については公式サイトをご参照ください。。。
(以下はただ写真が並ぶだけの半ばミニ旅行記です、あしからず・・)
2011/04/28
GW (※4/29追記)
2011/03/19
Charity
日々の報道で詳らかになっていくと、震災の傷跡がいかに大きなものだったかが分かります。
ニュースで震災被害に遭われた被災地の方々の心労を見聞きするにつけ、心が砕かれる思いです。
そういう中でも、消火や救助活動などに当たられている方、再会を喜ぶ方を見ると励まされます。
「生きてりゃなんとかなるべぇよ」
人の命って呆気なかったり、寸でのところで命運が分かれたりする・・
自分が生きているのは神様に生きていていいと言われたからなんでしょうか・・。
***
<チャリティー>
ニュースで震災被害に遭われた被災地の方々の心労を見聞きするにつけ、心が砕かれる思いです。
そういう中でも、消火や救助活動などに当たられている方、再会を喜ぶ方を見ると励まされます。
「生きてりゃなんとかなるべぇよ」
人の命って呆気なかったり、寸でのところで命運が分かれたりする・・
自分が生きているのは神様に生きていていいと言われたからなんでしょうか・・。
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<チャリティー>