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2010/02/27

「学ぶこと」/冬季五輪競技報道で想う

アイスホッケーに関連して・・ですが、やっぱりちょっと思っていたことを書きます。

もしこの競技を好きでなかったら気がつかなかったことかも知れませんが、
創作にしてもネットにしても、国内の色んな空気感というか、それこそ全般のことで。

少々腹が立っているというか、何だかな~と・・

(以下、長いです)

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先の冬季五輪のアイスホッケーの記事に書きましたが、アイザーマン氏が指摘するように、
NHLのスタープレイヤーのプレイ内容が高いことは言うまでもありません。

次回冬季五輪の会場であるロシアのソチの五輪委員会が、
シーズン途中ということを懸念するNHL側に選手の出場を強く要請しているのも頷けます。
NHLのプロ選手が出ないと、試合が「最高峰」の盛り上がりに欠けると思えるからでしょう。

野球という競技が五輪で行われたとき、日本や韓国などは出場選手をプロで固めました。

しかしこれについては、元々アマチュア競技の祭典であった筈の五輪が、
過去、サマランチ氏の方針でTV放映権の売却がその高騰の引き金になり、
広告収入を狙う委員会の経営方針などがプロ動員への大きな要因になったことは歴然です。
国の威信の下、育つべき人材が育たなくなっているかも知れないことや、
ドーピングや競技環境への影響、参加国のお金のあるなしによる格差を生んでいるなど、
問題もあるように思えます。

個人的な意見ですが、野球のときには日本の「オールプロ」は反対の立場でしたけれど、
このアイスホッケーについては、NHL台頭はちょっと歓迎してしかるべき部分もあります。

スロバキアチームがそのいい例で、NHLプレイヤーが祖国に戻り、
国の仲間と一緒に、自国のチームのために戦う。
その快進撃での盛り上がり、競技人口へ繋がるかも知れない効果は大きいと思えるからです。
イチローさんが大リーグから戻って来て戦うような感じですね。
・・その場合、イチローさんと共に国内のアマチュアリーグの選手もエントリーされていないと
意味がないのですが・・・

要するに何が言いたいかと言うと、
NHLは舞台は北米ですが、選手の国籍は関係ないということ。
色んな国の選手が集まるチーム、リーグは、こういう国際大会を開いたときに、
また違ったオールスター対抗が見られるということ。
また、その国の選手が同じチームで共に戦い、プロで培った技術を伝えることで、
同じように上を目指し、活躍し名を売ろうとする若い選手が育つだろう、ということ。

サッカーの欧州のプロリーグもそうですね。
ゆえに、ワールドカップも(スタープレイヤーのいる国は)盛り上がります。

そういった、競技としての、プロアマ関係のない、相乗効果です。
これがスポーツには常に必要な気がします。


以下、このことに関連してですが、別件含めて・・
ちょっと長くなってしまいますが・・(笑)


アイスホッケーという一競技についてだけでなく、
冬季五輪の報道を見ていて(殆ど国内の記事は読んでいませんが)思ったのですけれど、
ここまで偏ったスポーツの見方ってあるのかな、と少々腹立たしくなっています。

国際大会には特に注目もせず、五輪のときだけ「ニッポンニッポン」と叫んだり
メダルの取れそうな選手にだけ注目したり、その報道ばかりだったり、
またその選手が駄目だと急に評価が下がったりするのは如何なものかなと思います。

仮に、スキーやジャンプが世界のナンバー1になれないなら、それは何故なのか。
以前に、五輪代表でもあった選手がスキー板を盗んで売却したことで捕まったという
ニュースを耳にしたことがあります。
ジャンプの原田選手がスポンサーの雪印が傾いたときに広告塔として頑張ったりされていたことも。

観る側、応援する側も、選手に純粋にスポーツをやってもらおうという環境を整えるのが
まず最優先なのではないでしょうか。
日本の国内の低い山で滑っているより、スイスのアルプスに遠征して外国選手と滑った方が、
身近に実力を体験でき、それらにもまれて強くなると思います。

報道側もそうですが、選手は五輪に出るときだけにそのスポーツをし、技を磨くわけではない筈です。
どの競技にも平等にスポットを当て、選手が世界レベルに対抗する術を身に付けようとしている、
そういう努力を追うべきだと思います。

いったいいつまでミーちゃんハーちゃんな報道や番組を組んでいれば済むんでしょうか。
それでは強くならないのがはっきり分かっているというのに。
それこそ、愛国精神だの健全な精神だのは育たないばかりか、
健全なスポーツ少年少女たちはシラケるだけだと思うのですが・・

それを分かっている一流の選手はやっぱり日本にいないし、日本のマスコミを嫌ったりします。
彼らは外国の競技に詳しいプロのレポーターと接していますので、
自分なり他の選手の試合をそのレポーターが見ているか、いないか、よ~く分かっています。
日本のレポーターは質問を聞けば分かりますが、殆どが試合や競技自体をちゃんと見ていません。

今日本の動画を配信しているサイトに五輪競技のハイライトがUPされていますが、
ホッケーなどは日本語解説どころか現地アナウンスすらない、無音声のものが多い。
他の競技も、競技の解説をできていないアナウンサーや解説者さんがいらっしゃいます。
(「すごい、すごいですね!」なんて、見ている人間でも言えますよ・・(苦笑))

これでは「ニッポン」が何故勝てないのか分かるような気がするんですが・・・
(私は申し訳ありませんけれど特に愛国精神云々とかは説いておりません)


結果は過程があり、その工程と目標設定と環境が必要です。

環境が劣っていても努力できる人もいるでしょう。

Jリーグなどでもそうですが、日本のアイスホッケーも不況によるスポンサー企業の撤退で、
市民の草の根活動などで支えている面も見られます。
野球の独立リーグという試みも興味深いです。
中には身体障害者チームの競技やリーグだってあります。
地元商店街などがそうした方々を支えたりしています。
そういう面を報道したり、記事にしてらっしゃる立派なスポーツライターさんもいらっしゃいます。


また、これはスポーツとは関係ない話になってしまいますが、
売れるものをつくることより、売れたことの方が大きく取り上げられることって
往々にして多いような気がします。

つまり、モノの価値観ですね。

いいもの(作品でも競技でも商品でも)は支持されるでしょう。

問題はその絶対量ではないように思います。

数が多ければいいのでしょうか。
多くの人が目にしていればいいのでしょうか。
個々人ごとに好きなものや価値は違う筈です。

元々、どういうわけか日本の学校教育では、先生の言うことや、
教科書に書いてあることや、テストでの点数の良し悪しが全てで、
前に並んでいる人を見て続け、と習い教わるようになっていました。

それが今は個性教育、などと叫ばれていますが、
今も昔も個性重視は人間にとって価値観の根幹です。
どうして他人と同じ歯車の一部になれ、という風潮が重くなったのでしょうか。

それはある誰か一人が、自分に歯向かったら困る、そう思った人が、
そういうことを尊重するように仕向けてきたのではないでしょうか。
太古から人が集まる場所では、そういう「慣習」なのではないでしょうか。
殿様のお触れでも、社長の訓令でも、首相の法律定義でも、校長先生のお言葉でも。

みんながそうだと思わないこともある。
それなのに、一部の上役がそういう態度を強制すると、
みんながそうしているから、と後を付いていく人間ばかりになる。

そういう社会だと、先に見えている運命は、
モルモットの大群が怯えて走り出し、先頭の一匹の後を付いて海に飛び込んで、
全部死んでしまうという結末だけです。

インターネットもそうです。
日本語しか読まないとか、日本の人としか交流しないとか、
自分と同じレベルの人や環境の人としか話さない、接点を持たない、
同じ話題でしか固まらない・・
そんな感じだから、自分の立ち位置がどこだか、自分の目的や目標が何なのか、
見失ってしまうのではないかと思います。

もうちょっと考えては如何なものでしょうか・・

また、私は全否定するわけではありませんが、
海外の「日本人学校」とか、国内の英語教育とか、
それこそ英語塾とか英語の語学習得の試験制度とかは理解しがたいところがあります。

英語について言うなら、本人が必要なら学べですし、
何のために必要なのかも、個人には明らかにして欲しい。
将来必要とか、入社試験に得だとかの目的はまだ良しとしても(イマイチ納得いきませんが)、
英語を話す人と話さないのに勉強するという意味が分かりません。
分からなくても、最初から英語を話す人と話せばいいじゃないですか。

英語を読まないと分からないから、とか、お互いの共通語が英語だから、とか、
そういう情報取得やコミュニケーションのために学ぶのが当然なのでは。

アイスホッケーのビデオを見ていても、ロシアの選手もスロバキアの選手も、
カナダ(一部フランス語圏)やスイス(一部ドイツ語圏)の選手も、
皆インタビューでは英語です。
(NHLの選手だから堪能なのもありますが)

彼らも必要だから学んだんでしょう。
スポーツ選手は頭が悪いみたいなことも、誰が言い出したんでしょうか(笑)
訳知り顔で子供に間違った英語を教えている英語の先生の方が
よっぽど始末が「悪い」気がします。

また、外国語の映画や映像などに字幕が付いているのを100%頼りにしているのも
私は何となく危険な気がしてなりません。
本当にオバマ大統領がTVのニュース映像で、その通りのことを発言しているのでしょうか。
ビン・ラディン氏がそう言っていたんでしょうか。
発言が途中のことって良く見受けられます。
通訳さん付きの報道では音声が聞き取れないこともありますが、
編集されていると、肝心の発言の部分がカットされて聞けないこともあります。
ましてや、それこそ街角の市民(日本人でも)そう発言していたか疑わしい。
それなのに、TVやニュースや新聞を全面的に信じるのは、モルモットの悲劇と同じに
思えるのですが・・

疑問があると調べようとか、確かめようと思う。
最初からそう思ってものごとを見ることも大事な筈です。
学校の先生も、TVも、全部正しいわけではない筈です。
いかに自分自身に必要な、真実の部分を選りすぐる能力を得られるかが
学習する、という本質の意味なのではないでしょうか。


目的が視野を広めたい、ということだったり、
例えば作家や作品や、スポーツや趣味の好みから、調べ物をしたり、
そうしていると世界ってどんどん広がる。

元々勉強(学習)、ってそういうものじゃないんでしょうか。
(漢語では学校での学業や学習することを「勉強」とは言わないそうです。
強制的に「やらされる」ことを「勉強」と言うのだそうです)

そうしていると、ちっとも自分のいる周辺だけで満足したり、
毎日の生活に愚痴をこぼそうなんて思わない気がするのですが・・

世界中、楽しくて感心して、感動することばっかりです。

それを自分の目や足で見聞きすると、もっとうきうきする。
その時点で、誰かと話題を共用したり、自身のことを発信したり、
意見や考えを主張したり、作品や技などを発表したくなるでしょう。

売れているから、というものに飛びついたり、
その柳の木の下を狙うだけの物作りになったり、
他人の模倣商売のような創作をしたり、
二流選手の真似をして自滅することはないのではないでしょうか。

己の学習したことを糧にして、目標や目的意識をしっかり持ち、
地道にその目標に向かってこつこつと過程を大事にする。

それが個人の実力や本質の云々になると思います・・


ちょっと脱線してしまいましたが・・


インターネットや衛星放送などという便利でハイテクな時代なのに、
某国でもないのに情報統制されているようで、腹が立った次第です。

みんな何をしているんだろう、と・・



たいへん長くなりました。
[Column] -想うこと-

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