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2010/05/27

灰色のカリコリよかまん

aidamakoto_karikorif.jpg 昨日やっと会田先生(心の師匠)の作品に会って来ました。
 会期もだいぶ経ち、この日は午後から雨模様でしたが、
 それでも入れ替わり立ち代わりの来客。
 入ってすぐの「よかまん」は困った(笑)
 ヌードを見慣れている?側としては
 例の会田節に笑うだけだったのですが。
 (今回出て来るのは会田さんの裸じゃないんですが)

 しかし内心違う意味で笑えたのは、
 今回の目玉である最新・大作の「灰色の山」。
 なんだかんだで1時間くらい観てました。


ネクタイの方もいらしてて、その様子を是非写真に収めたい衝動に駆られました。
これを眺めるのにはネクタイ姿で鑑賞するべきだったかも。


凄い作品でした。何体も折り重なっている彼らは、誰一人として生きていない。
屍の山です。壮絶な数。
遠方の山の描写や、霧に隠れていく感じの出し方、気の遠くなるような素描の連続。

塗りは至ってシンプルで薄め。本来屍の山を描いた場合、もっと黒っぽくなる筈。
しかし髪や靴を濃く塗ってしまうと灰色にならないからか、近付いて見るとかなり簡素です。
白く抜いたままであったり、場所によっては全て鉛筆だけとか。陰影も殆どありません。

ネクタイに模様が描いてあったり、黒電話や古いPCがあったり、LANケーブルや電話線が垂れていたり、
今風のオフィス机から古い役所の事務机や椅子、パーテーションや打ち合わせのボードまで。
金髪・褐色の肌など、外国の方もいました(死んでました)。

これ(このテーマの作品)を見て感じるのは悲痛か、空虚感か、などと言われたとき、
私は何故か、何だかだんだん笑えて来ちゃったんですね。
急にこの手前の山(この山は実は他より小さいんですが)を駆け上っていきたくなったような。
死体踏んづけて、どんどん登って、わははは!、という感じ。
意味もなく笑ってしまう、笑ってやれ、っていう感想が自分の中にありました。
これって、自分がサラリーマンじゃないからなんでしょうね。
説明すると長くなりそうで、上手くできませんけれど。

いつだったかに拝見した池田学さんの大作とは違い、
近くで見ることが想定されていないというか、
「何だあれ?」と思って近付いたら死体だった・・みたいな風景画。
順に手を入れていくことで完成に近付くというよりも、
テーマを具現化した(鑑賞者に提示した)時点で既に完成している作品。

見る側にしか答えがありません。
鑑賞側が作家の意図した面や、例えば何かのパロディなりを知った上で触れると面白みが増したりします。
いつもそれが会田さんの作品なんですけれど。

「灰色の山」はまだ完成していないそうですが、
テーマはビシビシに伝わって来ますので、もう充分。
でもこういう作品って、閉鎖された所よりも、街路やどこかの外壁に展示してあって、
通りかかる誰彼に見てもらうのがいいようにいつも感じます・・
(絵についてはみんなそう思います。広告をアートと言うのはそういう面もあるかな、と)

隣にあった「1+1=2」は会田さんご本人がストレス解消に、と仰っておられたように、
現地(北京)で手に入れた安い絵の具でグァーっと描かれていて、むしろ安心できます(笑)
10mの「万札地肥瘠(ひせき)相見図」の方は上野からガッツリ手を入れてありました。
万札の下地はかたい金色に、臓物風の肥瘠の彩色は艶やかに。
会場に入り切らないので、壁の角で折り返してありました。

大阪(国際美術館)では6月から「滝の絵」に手を入れられるご様子。
(私はこの作品はあんまり好きじゃありませんが(笑))
東京・丸の内ではこの作品と対と言われる「ジューサー・ミキサー」や「戦争画リターンズ」も拝見できます。
今、方々で会田さんの作品が見られます。
今週末にはまた会田さんご本人の顔を拝見に行って来ようと思います(笑)

***

ちなみに私の好きな会田先生の作品は「山椒魚」です。大好きです。
やっぱり白っぽいものに魅かれるんでしょうか(笑)

関係ないですけれど、ある別方面の著名な方と会田さんとの対談を拝見して
その方が会田さんの「あぜ道」をいい作品だと強く推して仰ってられていたのを見て、
何だかトンチンカンなことを言う人だなぁ・・自分だったら閉口しちゃうかもと思ったことがありました。

だってあの絵は「面白い視点だな」と思われるだろうことを具現化しているだけで、
(それを正確なデッサンと素晴らしい描写力で描き上げているのが凄いわけで)
「いい絵」かどうかって言ったら、いい絵か?と思っちゃいますよ(笑)
会田さんご本人が返答に困っていたのを見ても何となく色々伺い知れないでもありませんでした(笑)

鑑賞者が作家の意図やコメントを読んでいるか、美術的知識入れをしているかどうかは別にして、
上の場合では、見ている人によって見ているところが違うんだな、とも感じました。
私自身は凄い美術家さんや画壇や業界の方とは比べるまでもない者ですが、
少なくとも描く側だけの人間なので、絵が好き・・というのとは
ちょっと違う目で見ている気が、そのときしました。
何が違うか、と言われると難しいんですけれど・・なんでしょう。

絵はその人に何かを感じさせればそれでよし、人によって違いもある筈なので、
それが違うこと自体は構わない。
作家が意図しなかったことまでもが鑑賞者によっては伝わったり、感じられたりもするでしょう。
しかし良く分かってもらえなくて(?)変に誉められたりするのも困る気もします(笑)

過日、私の作品の感想を言ってくださっていた中に、ある方が
「表情の奥の感情みたいなのがにじみ出てくる感じがする」と評して紹介くださいました。
「色んな感情を内面に封じている感じ」がするのだそうです。
これは正直、嬉しかったです。(同時に照れ恥ずかしい思いでいっぱいですが)

かつてある方には描き方について「サムライ」みたいだと言われ、
先だってはある方にそれが「力を与えている」と言われました。
描き方は人それぞれ、テーマやモチーフもあると思うのですが、
描きたいものが何か(例えば必ずしも女性を描きたいわけではありませんし(笑))、
何を描こうとしているかは作家自身も良く分かっていなかったりするんですけれど、
何気なく描いたものにもその作家の本当の内面が出たりするのが絵の面白いところ。
しかし一方で描きたかったものが作品を通じて伝わらなかったら作家の負けみたいな部分もあります。

綺麗な花を描くのは、その美しさを伝えたいゆえだと思います。
写真に残したりする、文章で感想を伝える、なども。
その美しさが、ホンモノ(モチーフの本体)より、その時間や空間や情況含めて
そのとき作家が汲み取ったものを時間かけて伝えるのが、人の手による作品かな、と。
そして、何がしかの人(作家)の手によるエッセンスが加わること。
とは言え時間をどれだけかけたとしても、伝えたいことは実は一瞬なんですけれど。

だから、作品に(自分で)説明をするのは野暮でしかないのですが(笑)、
意図とぜんぜん違う場合は困ったりもしちゃうでしょうね。
実力、と言うとそれまでですが、それは置いておくとして・・

自分については、自分の絵自体に何かを潜在的なものを感じてくれる人が、
一人でもいたことが凄く嬉しかったです。
展示会でも、イベントの会場でも沢山の方が足を止めてくださいましたし。
実はそれ以上嬉しいことってないんですよね。
(だから野暮で余計なことは言わないようにしないといけませんけれど(笑))

***

帰りに会田さんの本(サイン入)を頂いて、雨避けに寄り道しましたら、
ネクタイ組の大先輩のご年配の方と焼酎で談笑することに(笑)
夜は夜で元編集者の先輩女史とたわいもない話を(やはりアルコール片手に)交わさせて頂いて、
雨の中を帰りました。
市ヶ谷に行く前は本屋で面白い本を物色したりと、1日中何かを探している日でした。

楽しかったな。
描いていると孤独でやるせなくなりますが、誰かのエネルギーや情熱に触れたり、
何か内で思っていることが誰かと同じだったりすると悩みも飛びます。

明日路上で死ぬかも知れない奴だけれど、自分はそういう生き方だから・・と。
[ART] -絵・アート-

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