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2010/06/23

Concept Art ??

本当は会田誠氏の本を読んで、まるで半分自分の言葉のように思えて
書きたいことが山のように出てきたのだけれど、それをすっ飛ばして。

体調は半ば回復してます。原因はストレスだと思います(笑)

何でも吐き出した方が健康にはいいのかも、と思い、
たまに独白することにしようかと思いますが、
この記事は自分の日頃の鬱憤とはちょっとずれます。

以下、コンセプチュアル・アートに関するあるイベントのプレイベントのことで・・
勢い、(たまにしか呟かないけれど、そっちでこのイベントを知った)twitterに
殴り書きしてしまったことを少し修正して味付けし、ダラダラ転載しただけですが。
現代アートに興味のない方やその辺に全く疎遠な方には何のことやらちんぷんかんぷんだと
思いますし、またかなり荒げた文章なので、その辺どうかご承知おきください。。。
(まとまりもなく、無駄に長いです。ご容赦です・・)


***

『コンセプト・ワークショップ “コン平”』という、
現代アートパフォーマンス集団であるChim↑Pomメンバーの方々らが催すイベントの
プレイベント・ワークショップ座談会のようなものが会場クローズドの代わりに
ネット配信されるというので、拝見しました。

以前、東京で多くのギャラリーなどが参加したコンセプトアート・イベントがありました。
ブックマークも失念して何と言うイベントだったか忘れましたが、
都内に散らばる各会場を、目黒や六本木、高円寺辺りまで、興味本位で巡ったことがあります。

Chim↑Pomさんも近年名を馳せつつある現代アート集団。
また何か面白いことを企んでるのかな?と思い、拝聴させて頂きました。
どなたかとお話をしたこともないので(会場で話した方がいても、それがメンバーの方なのか、
そうでないどなただったのかも忘れてしまったのもありますが)生の声も伺えると思い・・
何より、彼らと親交のある会田さんがゲスト、というのが一番の目的だったのですけれど・・

しかし開始1時間半ほどで、残念ながら視聴を止めました。

あまり自分には・・と言う部分もありましたが、
別に若いアーティストさんなり若い人に対してオヤジ根性丸出しで嘆いているとか、
愚痴をぶつけるとか、そんなつもりはなかったんです。
むしろ居酒屋談義みたいなのはバカバカしいけれど楽しい感じでいいじゃん!と―

オープニングにはHIROMI YOSHIIの吉井さんがコンセプト・アートと
コンセプト・シートについて解説してくれて、この掴みは面白かったです。
短い時間ながらたいへん分かりやすくまとめてあり、再度勉強にもなりました。
そこから、座談会というか、特に進行や司会の定まらない、
まさに居酒屋での若者同士の雑談、トーク・セッションに移ります。

会田さんも日本酒の二合瓶か何かをラッパ飲みで召し上がられながら・・と、
相変わらずのテンションぶりでらっしゃいましたが(笑)
内容のふれこみも面白そうでしたし、和気藹々でちょっとグダグダで・・は、いいんです。
初めの内は笑ったりツッコミを入れたりしながら拝見してました。

多少のバカバカしさなり底薄さなりがあってもアーティストのエネルギーありき、と思い、
受け入れつつエネルギーの陽の部分、ハイテンションのベクトルは頂いてしまおうと
そう考えていましたので、肩の力も抜いて・・・


ところが、そういうこちらの態度を一変させてしまったのは、ある作品からでした。


パネリストであるO氏の、あの「9・11」事件を元にしたアート作品、
そのコンセプト・シート・・・つまり、企画書の映像化されたようなものでしたが、
それから。

内容は、旅客機がNYらしき高層ビル街の上空に飛来。
その機内には乗客の代わりに、ペンキ缶が大量に積まれています。
それを見上げる人々。指差し、歓声を上げて走り出します。(この時点で笑えません)
それがビルに激突し、爆発。(もう笑えません)
すると、そこら中にピンク色のペンキの飛沫が散ります。
それを浴びて笑う人々・・(笑えません)

数分の映像でしたけれど、良く出来た3DCGでした。

途中、声だけですが、数人の方の笑い声が聞こえました。

しかし、既に視点がずれてしまっている(?)こちらは、全く笑えません。
笑うどころか不快を通り越して凍りつきました。

9・11当時、生であの放送を当時見て、その後ドキュメント番組を見て、
そして『ユナイテッド93』という映画を見た私には、決して笑えません。

テロを犯した側の、欧米や石油を消費するだけの先進国の圧政への報復という理屈、
何の罪も無いまま命を失った現場の何千というNY市民やアメリカ国民・・。
理由のある行為を遂行した彼らや、犠牲になった彼ら・・その双方が、
将来的にも理解し合うべきだろう融和路線こそが人類の進むべき道だし、
互いに報復の仕合いを選ぶべきではないとはアメリカ国民すらも思ったこと。
悪戯に無意味で中身の無い「平和」を連呼して叫べば済むとは思わないけれど、
それを提示するべき立場にいるのは当事者でない(と思っている)我々別の国の者で、
また、殺戮と無縁な精神的に豊かな世界に住み、それを創るべき筈のクリエイターではないのか。

私の意見は上記で首尾一貫しています。

その考えからすると、まずこの題材を扱えないし、仮に扱ったとしても、
それを見て決して笑ったり(する作品を創れるとも笑い飛ばそうとも思いませんし)できません。


その後も色々ありました。生首とか。

最初の「おならを集めて大爆発」なんかは可愛くて笑えたんです。
ネタとして話に加わり、違う(お笑いの)方向で広げたいくらいでした。
会田さんが「シートというものを良く呑み込んでいなくて」と出された捕鯨→江戸時代方式のパネルとか、
排泄物(つまりウンコ)アニメとか、まあその辺はいいんです。

しかし「9・11」は・・

その後もアキバ系萌えキャラお姉さんの合いの手を挟みながら、
核ミサイルのパネルやら、生首(実物)の話やら・・・

非常に不快になったので最後まで視聴するのを止めました。

私も大人として(アーティストとしては現状「負け組」ですが)、度量をもって臨むべきで、
見たくないなら見なければいいし、こんな文なんか書く道理も手間も必要とされてません。
でも、ちょっと以前のそのイベントで作品を見たときに、アートなのにピンとこなかった、
微妙に忘れられずに引っかかっていたことの理由が、おぼろに窺い知れた気がしたので。

・・・要するに、コンセプトを擁するべきアート・パフォーマンス作品なのに、
コンセプトに「自由」を課し過ぎて、性質のよろしくない悪ふざけになっている。

子供でもない人が子供のように自由さで表現できることはアートとして最高です。
でも、社会的にも表現者としても、大人である者としての他者への思慮は図るべきです。

広島の原爆慰霊のイベントの時の件で美術館側や市民に誤解を与えたことも、
当時は私も会田氏曰くの論点と同様、同じく擁護する意見でしたが、
今は逆に何となく彼らの考えに微かにでも問題があったように思えて来ました。
渋谷のネズミオブジェは面白かったですけれど・・

要するに、ギャラリストなりに買って貰えればいいのか?、という一番の問題も含めて、
エキセントリックな主題なりモチーフを作品でない偶像で生もうとしている・・
否、別にそれは結構なんです。アーティストなんだから。

社会に眉を顰められる、エキセントリックな作品を生むことが、負のベクトルであっても、
アートには必要なことです。アートには不要なものはない。
元々アートってもの自体、衣食住に関係ないんだから、あってもなくてもいいもんなんです。

しかしアーティストという表現者側が相手とする鑑賞者は、一個の人間です。
人間相手の表現、商売ですし、その思惟や感受性を刺激するのがアートの意義。
無味乾燥なものを生んでいては表現も個性も主張もへったくれもない。
でも、相手を非常に不快にさせたり、陰鬱な、それこそ憤りを覚えさせたり、
創った作家の人間性を疑ってしまうようなものは、
鑑賞者が多少持ちうるだろうユーモアセンスでさえも簡単に打ち破ってしまいます。
作家自身どころか作品自体を否定し、敵対視させてしまう恐れのあるようなものは、
それは残念ながら不特定の者が鑑賞する可能性のある場に出すべきではない気がします・・


コンセプト・アートを考える(だろう)ワークショップイベントの前座でしたが、
イベント自体というか、アートのコンセプトへの姿勢が大前提で傾いでいるような・・

そんな人や人たちが、更に若い学生さんを教えているんでしょうか。

私だったら、自分の子供はそんな先生に教わって欲しくないな。
(自分は子供じゃないので、こういう形で学習させて頂きましたが)


すみません。言い過ぎました。



-- 以下、(同じ内容ですが)twitterについ殴り書きしてしまったログです --

◇・・・うーん・・若いアートに対する考え方などは面白いし興味深いし、
刺激になるべき部分は貰うつもりでいるけれど・・
(井戸端アート談義は居酒屋で隣の学生が騒いでいるような感じ自体も
別に実になる前哨なので構わないけれど)・・

◇正直9・11をアートイベント的に解釈するのは事件当事者でない日本人の自分でも不快。
もし仮に考えついても人に見せない。見せたいと思わないし、やはり元から考えない。
戦争や政治行為をアートと銘打ってバカ騒ぎに変えるのは、私個人は非常に気に入らない。
これを笑えない自分は変えられない・・

◇アートなり美術作品なりを美術館やギャラリーに押し込め、
投資対象に還元するだけの考えには賛成しないけれど、
アートパフォーマンスと称して鑑賞者の作品に対する思惟より
自己表現の自由性を主張しコンセプトを押し売りするようなものも、やはり受け入れ難い。

◇コンセプト・シートと銘打っても所詮は「企画書」であり、
それがバカバカしい企画や自由な発想であっても構わないというのは
アート的に可かもで、また売れればそれはよしかもだが、
企画を発想するために作品の真の価値が失われたら何にもならない気がする・・

◇広島の件で色々相互理解の狭間で問題になったのが、今更分かるような気がする。。。
アートだから(所詮は鑑賞者側の感受性なので)理解されなかったり誤解があることもいいじゃん、
と思うけれど、しかし、やっぱり配慮や思惑が欠けている部分があるんじゃないかな・・

◇同業の悪口を言うわけではないし、そんなことはハナから思わないけれど
(見ない・関わらない場合はカヤの外なので)、
でもやっぱり以前TOKYOのイベントで何箇所か見たときの違和感は拭えないし、
何となく理由が分かった気がする・・

◇ちょっと残念だけれど、ボクはコンセプチュアルだかナンだかの言い方は別にして、
分からないとか分かるとか言う以前に、作品の本質的な問題なのかも知れないところで、
一種にニューウェーブ的な若いインスタレーションアートを受け入れ難いものが
自分にあることはいかんともし難い・・

◇あと、「萌え」とか「アキバ」とかのアニメ・マンガ文化を日本のアートシーンとして
くくったり輸出したりしようとする向きも正直好きでない。むしろキライ。
例えば優れた国内の、“アニメ”ではなく“アニメーション”映画など作品の内容で
作品や作家が海外の視聴者に評価されるならまだしも。

◇非常に誤解だな、と思う。アニメーションやマンガについて言えば、
手塚治虫氏が残した業績に胡坐をかくだけどころか、
泥を塗るような「精神的退廃」に結びつきそうな作品創作はいずれ廃れると思う。
廃れるということは残らない、ということ。
100年後どころか数10年後まで残らないだろう。

◇何十年か何百年かして、当時の文化ということで、社会学者や歴史学者に
学術的研究の一部分として取り上げられるだけの作品になって構わないなら、
それでいいので、そのままバカ騒ぎ的アートを叫んでいていいと思う。
若い(新しい)ということはそういうこともできるわけだし・・

◇文化や風潮を生むのと同時に、それらを壊すということもできるのが
そういう新進クリエイター(アーティスト)の力だし。
方向性が多少曲がっていてもいいかも知れない。
社会が全て真っ直ぐに正しいわけではないから。

◇でも僕の好きなアートでは決してない。文化でも作品でもない。
そういう人がいる、と思うだけ、かな・・

◇どうして核ミサイルとか狭い視野の方向に行くのかな・・
アーティストこそスペースシャトルで一度宇宙に打ち上げてしまった方がいいのかも(笑)
というか、日本人は無宗教なことは自由でなく限界を見る不自由さを感じるな。
教育の根幹(の失敗)ってそうかも知れない。

◇・・どうでもいいけど、不勉強。
若いんだからバタイユくらい読めとは言わないけれど知ってて欲しいような (笑)
あと、もっと外部の高いグレードの作品を鑑賞すべき。文学とか映画とか。
若い人全般に言える。アニメやトモダチの作品ばっか観て誉めそやして喜んでるんじゃないよ!

◇退屈だ。 以前鑑賞した作品同様、中身無し。
嫌悪感があるのは自分には良かったかな・・自分は違う、というだけ・・
理解したくないわけではないけれど、特に理解して歩み寄ろうとも思わない。
以上オワリ。

◇胸クソが少々悪くなったので(笑)、中島みゆきさんでも聴こう。
こういうのがアーティストたる創作だと、ボクは思う。
中島みゆき「時刻表」

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なんだか攻撃的な文章になってしまいました・・

決して彼らを非難しようと思ったのが目的ではないのですけれど・・

でも楽しもう、勉強させてもらおうと思った筈の時間・・

ちょっと返して欲しいな、と思ったので。。。

(もう見ないと思いますけれど・・)
[ART] -絵・アート-

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