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2006/03/12

【しあわせ】

0222h2

<素描>
06.2/22
(六本木ヒルズ・テレビ朝日前の公園/ リクルート姿の女性)
・ハガキサイズスケッチブック
・油性ボールペン(0.7/黒)
・1時間半


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先日行った太田由美氏の個展
先述した「感情」は売れたそうだ。

以前に火星児さんの「花」を
オーナー宅搬入前に見せてもらって
たいへんありがたかったことがある。
絵は実物がいいけれど、
その実物に会えなくなるのは寂しい。
ゆえに、人手に渡る前に一目見ておきたくなる。
まるで育てた子供や教え子のようだ(笑)
(ボクはセンセイの経験はないけれど)

作家にとっても嬉しいような、寂しいようなだろう。

ある方から、原画はできるだけ売らない方が・・、
(生活が苦しくなるから)と言われたことがある。
売れればその場ではお金になって豊かになっても、
また描かねばならない。
それを見せる術も、また個展などへの出展作も少なくなる。
個人所有は画家にとっては、コレクションの目減りと
逆に作品の価値の減少も生んでしまう、ということだ。

人に見せたい、そして生活の糧にする・・
そのときそれは作家にとって同時に満たされる。
自分でアトリエの隅に置いておいても埃を被るだけ。
死ぬまで値を上げてくれるのを待っても仕方ないではないか。
確かにそうも言える。

しかし、もっと多くの人に見てもらうべきでもある。
多くの人の目に触れて、価値は上がっていくような気もする。

作品を生むのは作家だが、
売るということは所有権を半ば放棄する。
生まれた子供がいなくなっていくと、
作家は悲しみで描けなくなるのだろうか。
否、先の人はきっと、
安い作り手になってしまうかもしれない、と言う恐怖を
諭していたのかもしれない。

ボクは作って生んで、そして吐き捨てて来ている。
ほんの僅かな間、一瞬しか愛着を持っていない。
だからいつまで経っても貧しい。

素敵な作品に触れると嬉しい。
その生まれたことに敬意を感じる。
そして、それが目の前から消えるのはとても哀しい。

火星児さんは言っていた。
「絵は買うものではなく、やっぱり見るものだ。
 とても部屋の中で眺めたりはできない」と。
やはり贅沢な所有なのだ。

もうその作品が見えないのは残念だったけれど
でもボクは実はひっそりと、
一瞬の贅沢を味わっていたのだ。

そのときボクはしあわせだった。

[ART] -絵・アート-