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2008/09/21

【横浜トリエンナーレ08】と現代アートの展開について

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横浜トリエンナーレが9/13~11/30まで開催中です。
OPEN前から諸々お手伝いに行きつつ、作品などを見させて頂いたり、
アーティストの方やスタッフの方とお話しさせて頂いてます。

9/14にはGEISAI#11なども開催されてまして、
すっかりアートの秋になって来ました。

ところでふと、アートシーンって何だろうと思うことがあります。
昭和40年会とか、MIZUMAに於ける
会田誠氏のシンパ(笑)でもある私としては、
現代美術と画壇界のなんとも言えない隔たりとか・・
(MIZUMAと言えばしかし現代アートの寵児は村上隆氏なのでありますが)

山口晃氏が澱エンナーレで、難解にして素人にはすぐに意味の解せない、
現代美術を揶揄しておられましたが、
横浜トリエンナーレにはそういうところがないでもない。
いえ、むしろまるきりそのままのような部分も・・・

解説を必要とするアートとは感じるアートではないわけで。
解説を要しないと理解できない鑑賞者を排除してる姿勢もどうも
高飛車で距離感が甚だしく感じてしまいます。

それは作品だけでなく、組織や人にも言えるのですけれど。

作品自体の面白さがどこにあるか、というのは勿論なのですが、
学術的にどこの部分が何を問いかけているのか、というくだりが、
結局ロジカルに言葉の解釈でされることが前提になっている、
そんな気がするのです。

なんだかこっちも分かりにくい説明になってしまってますが(笑)、
例を挙げて言うとしましょうか。

いい例として、
例えば照明のある部屋があるとしましょう。
そこに観客が入る。
すると観客の影ができる。
それを鑑賞する観客が即ちそのアートの一部・・とか。

アクションをすることによって影が変わったりですね。
アーティスト側に多少ひねりや工夫がないといけませんが。
しかし一応、これでアートとしては成立していると思います。
鑑賞と同時に参加していることも楽しい。
アートの「鑑賞」と共に、観客には「実感」「体感」があり、
アーティストはそれを目的とすることも作品の意図ともすることができます。
そして意図していない(鑑賞者の)リアクションで、
また別の作品を瞬時に創造することも可能です。

つまり、言葉の介在や仲介はそこにないわけです。
体感として存在し提示されているので。

ところで、逆に完成された、
鑑賞者が参加・体感することのない作品だった場合。
上記の場合、既に影がそこに存在していた場合。

よく観光地に行くとある、顔を出して写真を撮る看板。
ありますよね。
アレって例えばアートだと思うのですね。
顔の部分がくりぬかれているために、客が顔を入れ、
写真を撮らない限り未完成のままです。
提示されたアートシーンです。
ちょっと大げさですが、目的は鑑賞者自身の参加ですから。

それが、顔が異物で塗りたくられたものがあったら?
鑑賞者はその意味を考えるでしょう。
それもまたアートではあります。
しかし、意味の解釈は鑑賞者に委ねられても、
鑑賞者はそこに介在することが許されません。
意味を考えるのみになります。

キュレーターと称する、美術をロジックで解こうとする学術的な研究を
されている方々がいらっしゃいます。
それについては難儀を申しません。
しかし、そうしてある、ロジック(論理的)解釈の上で既に解説を、
いえ、解説のために一例として披露されたかのような、
一種パズル的な、アルゴリズムの塊であるかのような展示品は、
難解ゆえ(というより、解説をされないために)放置されることが
しばしばな気がします。

作品の意図や目的を汲むことを阻まれて、
ふだんまったくと言っていいほどアートシーンに接触のない鑑賞者は
その作品の前を通り過ぎるだけになります。
いえ、もっと悪いことに、難解さゆえに、不満を覚えるでしょう。

以前、初台にあるICCで鑑賞した、(これは映像展示ですが)
FUTURE CINEMA展はたいへん興味深かったのを覚えています。
先のように、人がその映像に入ったり、展示品に触れたりすることで、
映像の“芸術的意図”はどうあれ、鑑賞者に何らかの発見や刺激があります。
フィルムに開いた穴を拡大鏡でスクリーンに大写しにするプロジェクターは、
穴の場所を鑑賞者が選べ、それが穴であることを知り、また、
その拡大投影された穴の形状に驚きます。
人が大量に行き交う交差点が投影された床の上を歩かされる鑑賞者。
すると、歩く方向によって投影してる道や人の画が変わり、
鑑賞者は戸惑ってしまったり画を操ろうとしたりする。
こうした展示の多くが、提示はされつつも、鑑賞者のリアクションに
鑑賞の目的や意図が委ねられていました。

アクションとともに、そこにリアクションがある。
それによって、作品の鑑賞意欲すら励起させていました。
たいへん面白かったのを覚えています。

ICCはこの過去の展示に関わらず、今も常に面白いものを紹介しています。
都心の近所ですので、ぜひ面白そうな展示を見つけられましたら
足を運んでみることをお勧めします。

これに比べると、横浜トリエンナーレはインスタレーションを主な展示としつつも、
しかし、その作品の提示方法や、作品の選び方、展示の意図など、
どれをとってもちょっと首を傾げる部分があります。

まず、現代アートシーン、と謳っている部分。
それを横浜市挙げての市民イベント、としている部分。
そのために市役所職員や美術館・大学の学芸員を配し、
そして大掛かりにボランティアスタッフを作品監視や誘導に起用している部分。

市職員やボランティアの活動は、一見するとたいへん好ましい活動に思えます。
しかし、作品の説明もなく、ただ無味乾燥に、意味不明な(ままの)作品を
長時間監視するだけのスタッフや職員にとって、その参加に楽しみはあるでしょうか。
作品は「監視」するためではなく、鑑賞するためにあるものです。
鑑賞方法が先のICCの作品のように、簡素且つ安全に、しかも容易に参加して
観ることのできるものでしたら、その管理も方法が分かりますし、
観客の手助けをしたり機器への注意など、責任感も出るでしょう。

しかし、一部の学術的関心と研究のために(であろう)
世界各地から集められたアーティストの作品を、ただじっと見つめ、
触るな、汚すな、とやっている様はまるで市民参加型とは思えません。
観客も解説のないまま、参加しようがないまま、眺めて通るだけです。
(高いパンフレットには作家の紹介記事はあれど、作品の解説は1行もありません)
来場者の湧き上がる疑問に、即答せねばならないのはその監視役の
ボランティアスタッフですが、彼らは作品の意図を知りません。

そこへ、市の職員や学芸担当員や、ディレクターと称する、
現場の(人員管理の)スタッフは果たして何をサポートしているでしょうか。
結局、スタッフすら、作品の意図を飲み込んでいないような気がします。
しかも、大半は(私からすれば)古い現代アート作品の提示です。

先のICCの作品を見たのはもう03年ですから、5年も前です。
トリエンナーレは05年に開催していますので、
今回のそれはICCでやっていた当時の前衛的な「現代アート」作品より、
2期前以前の作品を今更また展示していることになります。

参加もすることなく、ただ解説無しに通り過ぎろ、と言われているような
遅れた学術的にロジカルな、学芸員の研究題材として羅列されただけの、
自己満足な決して右脳を刺激しない作品の巨大な展示会・・・

果たして2ヶ月も持つのか、他人事ながら不安です(笑)

さらに付け加えるなら、
同時開催の前キュレーター学芸員による黄金町バザールや、
横浜市独自のシティアートの実現を謳っているZAIM
オープンスタジオの展示。
共に見させて頂きましたが、作品内容以前に、そのコンセプトが解せません。

市民参加型、というなら、なぜ自由に、開催期間中にアーティストらが参加できないのでしょうか。
市民が持ち寄ってアートマーケットなりワークショップなりを、それこそ路上でやるもよし。
建物を会場として提供できるなら、なぜ解放しないのでしょうか。
なぜ予め選ばれた人や既にある団体や呼ばれた作家しか参加できないのでしょう。
なぜ、観る方と、観られる方に分けてしまうのでしょう。

これらの全てに、入場料を徴収していますが、
どう考えても横浜市や団体の財源の一部に当てているとしか思えません。
文化振興という名の助成金目的に開催し、大学や美術館の維持費や、
学芸員らが対外的な知名度の向上に利用し、その上で何らかの
予算確保のために開催され、市民のそれなど財布目的以外そっちのけ。

でなければ、市民から高い入場料を取らないでしょう。
主要3会場の一つである、BankArt会場は別料金という設定もおかしいです。

そして、何よりも、
設営スタッフやボランティアなど、給与の出る出ないに関わらず
(それこそ無償奉仕で作品管理、つまり芸術に携わってくれているボランティアの方々に)
代表者や学芸員らが挨拶すらしないのはどういうことかと思います。

実際に設営(仕事)やボランティア(無償奉仕)で関わった私や、
その場のスタッフらの、彼らへの率直な感想です。

私だったら、個々の会場で個々の作品を管理してくれている全てのスタッフに、
代表なり運営担当でしたら、頭を下げて回ります。

お疲れ様も言えない運営者。
解説もなくただ例示されているだけの学術的見地での展示。


大掛かりゆえに、たいへん残念なイベントでしかないと思います。

甚だ厳しい言い方ですが。




作品鑑賞目的の方は、お越しください。
その際、できればボランティアスタッフの若い方々には声をかけてくださると嬉しいです。
[ART] -絵・アート-